新卒入社の会社で『鬱』になった話②

うつ

ブログで1番書きたかった私のうつ病になったきっかけも、なかなか更新することができず、お待たせしてしまいました。

今では毎日のほのほ生きているように思われがちですが、本当の私は毎日何かを考え、必死にゆるくいきているのです。

①をまだ読まれていない方は、こちらからどうぞ。

7月「配属先は◯◯でした…」

シーンと静まり返った会議室で、社長が話し始めます。

「3ヶ月間のOJTお疲れ様でした。

皆さんの配属先が決まりましたので、発表します」

3人中1番最後の発表となった私。

優しい先輩社員さんと社長は仲が良かったから、私の気持ちはもう知られているかもしれない。

そうドキドキしながら、社長の言葉を待ち構えていました。

「小野さんは……

………………………………総務です」

「え?」

「今は僕がG長も務めているから。これから一緒によろしくね」

先輩社員さんを見ると、優しく微笑んでいました。

1番会社の事業に関わらずに頑張れるところは「総務」だと思っていた私は、第1希望を「総務」にしていました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

8月「みんな頑張っている…私は?」

「総務」として備品の管理や社外対応などをしていた私は、なんだかんだ頑張ろうとしていました。

しかし、事態は急変。

会社の経営が悪化し、国からの補助金を受けないとやっていけない状況になりました。

補助金を受け取るために、会社は休業しなければなりません。

不安定な気持ちのまま、働くこともできず、家から出ることもできず、どんどん闇の中へ落ちていきました。

大学の頃の友人と会っても、仕事の愚痴を聞くだけで、自分は頑張れてないし頑張ろうともしていなしと考えていました。

「みんなで会社を立て直そう」

と、周りが結束すればするほど、そこについていけない自分に嫌悪感を抱くのでした。

9月「頑張って生きてました」

この時期から様々な勉強を始めました。

TOEICにプログラミング、お金の勉強。

全ては転職への準備でした。

お金の勉強については、私は簡単に家族には相談できない家だったということもあり、自分で自分を守らなきゃと必死でした。

自分でもわかっていました。

このままでは鬱になってしまう…

と。

だからこそ「息抜きも大事」と、都内のカフェを巡ったり、友達と遊んだりと頑張って息抜きしていました。

ちょうど熱海に行ったのも9月でした。

しかし、珈琲1杯にしても、たった数100円の交通費にしても、あの頃の私は「この数100円を使わなければ良かったと思う日が来るのでは?」と葛藤していました。

会社にいても地獄、会社が潰れても地獄。

何かにしがみつこうと、自分を強くしようと必死でした。

この頃は、ご飯を食べても戻してしまうようになり、徐々に体に不調をきたしていたのでした。

続く…。


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